27th
2008-09-06 - matakimika@d.hatena
オタク限界集落的な話
- なんかいまどきの大学生あたりのオタのひとはあんまそういう考え方をしていないっぽいのだけど、オタクはほっとけば自然とオタクでなくなる。 まるで呼吸するように自然と気がついたらオタクになっていた、というような感覚によって、このままほっといてもオタクでありつづけるような幻想、なのか な。よくわからん。「勉強してオタクになった」側の視点でいえば、ほっといて死ぬまで自然とオタクで居続ける状況などありえん。生またときからオタクを やってきたわけではないのだから、死ぬ前にオタクでなくなるのは当然で、死ぬまでオタクをやりつづけるためには、相応の努力が必要で、それがあっても無理 かもしれない。
- 田舎から進学とか就職で都市部に出たことがあるオタなら気分として理解できると思う。オタクが自分のオタク年齢を維持するために必要な リソース量は(そのひとが「どういうオタクであるか」によって内容は変わるが)確かに存在する。オタクとしての寿命は、田舎よりも都会のほうが一般的に長 い。時間の流れといったほうがいいかもしれない。それが都会は遅く、田舎は速いのだ。帰省して地元の学生時代のオタ友と同窓会などやってみれば、それは如 実に体感できる。都市部で暮らす自分よりも明らかに、地元で暮らす彼らの「老け方」は早い。時間の差を体感することによって、自分の未来を見ることができ る。都市部においても(田舎よりは緩慢だが)確かに時間は流れていて、そしてそれよりも早く、自分の肉体は衰えていく。肉体が衰えれば精神も衰え、あるい は肉体に順じて衰えない精神は妖怪化していく。
- 人間が生まれながらに知ることを欲するというのは確からしい話だが、日々抱く興味関心の量が衰えていくのもまた経験的な事実だ。中には 老いてなお盛んなひとも居るが、それは訓練の賜物というべきで、自然とそうなるためには無自覚に努力しつづけるタイプの素質が要る。なければ、自覚的な努 力が必要。
- オタクがオタクで居るために必要なのは「オタコンテンツの供給」「オタ友」の二つだと思っている。その状態の維持のためオタク共同体は 有効だ。仲良しサークルというかな。自分にとって新鮮なオタコンテンツの情報やヒントがいつも手に入り、そしてそれを一緒に消費できる友達が居る。この状 態が続けば、オタクはいつまでもオタクで居られる。が、長い目でこの状態の維持は結構むずかしい。シーンは変遷するので、鮮度の高いオタコンテンツに対し て興味を維持しつづけるのは実はけっこう難度が高いし(感性の硬直化は分野越境をむずかしくするのだ)、おっさん化すると自然と同年代のオタ友は徐々に 減っていき、また若オタとの接点も自然減少するわけなので、共同体は痩せ細る。入手できるコンテンツが減り、そして一緒に消費できる仲間も少なく、また共 同体に新たに入ってくる者が居なくなったとき、「いつもの面子」はオタク限界集落になる。これは不可避の未来なので、だから考えるべきことは、いかにして そうなるまでの時間を引き延ばし(つまり共同体内の人員流動性を確保したり、あるいは複数の共同体に所属してリスクを分散したり)、またそうなったあとの 「リタイア後の人生」の豊かさを確保するか、というあたりになる。
- 「全国どこに居てもオタクはオタクになる」と思っているが、オタクになったあと、つまり「オタクであることを維持するため」には地方よ りも東京に居たほうが都合がいいと思っている。コンテンツが豊富で、共同体が多く、流動性が低くない。その状態は、若オタである時よりも、おっさんオタに なってからのほうが「好都合」に思える。
(出典: d.hatena.ne.jp)

